我々すぐ身近な場所に潜むべつの世界‼

 

 

【日常に潜むバグ】空間が歪む瞬間。知恵袋に投稿された不可解な体験談が示唆する「11次元」の世界

インターネットの広大な海を漂っていると、時折「我々が暮らすこの現実世界には、並行して存在する別の世界があるのではないか」と考えさせられるような、不可思議な体験談に遭遇することがある。

誰かの作り話だと笑い飛ばすのは簡単だ。しかし、中には妙に生々しく、私たちの日常と地続きに感じられるものも存在する。今日ご紹介するのは、Yahoo!知恵袋にひっそりと投稿されていた、とある体験談だ。

投稿者の名前は「zeb※※※※※※※※」さん。ここでは彼女のことを仮に「Zさん」と呼ぶことにしよう。

終わらない階段。3階から降りた先は、再び「3階」だった

ある日のこと。Zさんは買い物をするため、大型の家電量販店を訪れていた。

お目当ての商品を無事に購入し、帰路につこうと、彼女は3階から階段を使って2階へ降りていったという。何気ない日常のワンシーン。一段、また一段と階段を下りきり、フロアのドアを開けた彼女の目に飛び込んできたのは、奇妙な光景だった。

辿り着いた場所は一体どういうわけか、もといた「3階」だった――。

方向感覚を失ったわけでも、エスカレーターの乗り場を間違えたわけでもない。自らの足で確実に階段を「降りた」にもかかわらず、到着した場所は元の空間。まるで空間そのものがメビウスの輪のようにループしてしまったかのような、背筋の凍る体験である。

密室のワンルーム。誰もいないはずのトイレから現れた友人

Zさんの体験談は、まだ続く。ある日、Zさんは友人と一緒に、共通の知人であるAさんの部屋へ遊びに行っていた。

Aさんの自宅は、ごく一般的なワンルームアパート。しばらく談笑していると、Aさんが「トイレに行ってくる」と言って席を立った。ところが、いくら待ってもAさんが戻ってこない。心配になったZさんがトイレのドアを開けて確認してみると、そこには誰もいなかったというのだ。

前述の通り、Aさんの部屋はワンルームである。トイレ以外に身を隠せるような場所もなければ、別の部屋があるわけでもない。大声で名前を呼んでも、一切の反応はない。

Zさんと友人は、「きっと自分たちが気づかない間に、こっそりアパートの外へ出かけたのだろう」と結論づけるしかなかった。他に論理的な説明がつかなかったからだ。

ところがその直後、さきほど確認したときには「確実にもぬけの殻」だったはずのトイレから、Aさんが何食わぬ顔で出てきたのである。

驚いたZさんたちが「今までどこにいたのか」と当然のように問い詰めると、Aさんはふたりの言っている意味がわからないらしく、こう答えたという。

「何を言っているの? 私は今までずっとトイレにいたよ」
「何を言っているの? わたしはずっと今までトイレにいたけど?」

Zさんたちが見ていた「Aさんが消えた空間」と、Aさんが体験していた「ずっとトイレにいた空間」。この二つの空間が、まるで切り離された別次元のものであったかのような錯覚を覚えるエピソードだ。

量子物理学が示唆する「小さく折りたたまれた異次元」

もちろん、これらの話はZさんによるいたずら半分の創作である可能性も否定はできない。しかし、文章から滲み出る淡々としたトーンや困惑の様子からは、どうしても単なる作り話とは思えないリアルさが漂っている。

あるいは、この世界には我々の五感では認識できない「別の領域」が存在しているのではないだろうか。

事実、最先端の量子物理学(超弦理論など)の世界では、この宇宙は我々が認識している縦・横・高さ・時間の4次元だけでなく、「11の次元が存在している」と考えられている。そして、残りの余剰次元は、我々が暮らす空間のすぐそばに、目に見えないほど小さく「折りたたまれて」存在しているというのだ。

もしかすると何かの拍子に、我々はそうした日常のすぐ隣にある「小さく折りたたまれた未知の世界」へと足を踏み入れてしまうことがあるのかもしれない。

あなたが何気なく降りているその階段。
誰もいないはずの扉の向こう。
果たして、皆さんはどう思われるだろうか?
次に奇妙な空間のズレを体験するのは、あなたかもしれない。

虫は音が聞こえるの? 耳なき虫たちの驚くべき聴覚世界

 

 

虫は音が聞こえるの?耳なき虫たちの驚きの聴覚世界

夏の夜に響き渡るセミやコオロギの合唱。ふと、「これだけ賑やかに鳴いているんだから、彼らには音が聞こえているはず。でも、そもそも虫に『耳』ってあるんだっけ?」と疑問に思ったことはありませんか? 今回は、意外と知らない「虫の聞こえ方」の秘密に迫ります。

耳がなくても、音はちゃんと届いている

私たちの頭の横には当たり前のように耳介(耳たぶ)があり、鼓膜を通して音を認識しています。しかし、地球上の生物の大半を占める昆虫たちの大半には、私たちがイメージするような「耳」はありません。

だからといって、彼らが音を感じていないわけではないのです。実は昆虫たちは、私たちが想像もしないような驚きの方法で、世界の音や振動をキャッチしています。

驚きの聴覚器官:実は「足」や「お腹」で聴いている!

虫たちは、体の思わぬ場所にある「鼓膜のような器官」や「感覚毛」を使って音をとらえています。代表的な例を見てみましょう。

  • キリギリスやコオロギ(前あし): なんと、前あしのすねの部分に小さな鼓膜(聴器)があります。地面を伝わる振動や空気を震わせる音を、足で聴いているのです。
  • セミやカ(お腹や胸): セミのオスがお腹に持っている「共鳴箱」は有名ですが、聞く方の耳も特殊です。お腹のあたりに「腹部聴器」と呼ばれる膜があり、仲間が鳴く声を聞き分けています。
  • 蚊(触角の毛): オスの蚊の頭にあるフサフサした触角は、メスが羽ばたく音(周波数)にだけ共鳴して震える超高感度のアンテナになっています。
💡 ここがポイント!
多くの虫にとって、「音」とは空気の振動であり、それは「触覚」や「全身のセンサー」で感じるもの。人間のように「耳」という特定のパーツに頼らず、全身で音を味わっているようなイメージに近いかもしれません。

音が聞こえない虫はどうしているの?

なかには、本当に音をほとんど感じていない虫もいます。例えば、身近なアリやハエの多くは、空気中の音波を聴く能力はそれほど高くありません。

その代わり、彼らは足の裏などで「地面の微細な揺れ」や、周囲の「空気の流れ(風圧)」を敏感に察知しています。「音が聞こえる」のとは少し違いますが、危険を察知するセンサーとしては、人間よりもはるかに優秀だったりします。

まとめ:小さな体で世界を聴く虫たち

「虫に耳はあるのか?」という疑問の答えは、「私たちのような耳はないけれど、足や体の一部、あるいは全身を使ってしっかり音や振動を感じ取っている」となります。

私たちが何気なく聞き流している自然の音も、彼らにとっては生き残るための大切なメッセージ。次に庭や公園で虫の鳴き声を聞いたときは、「彼らはどこでこの音を聴いているのかな?」と想像してみると、ちょっと面白いかもしれませんね。

小説 VIMANA

 

※こちらは既にKindleから出版している『VIMANA』の一部を掲載したものになっています。

 

超古代文明

VIMANA

 

海田陽介

PROLOGUE

プロローグ

 

宮崎県日南市は、日本列島を構成する、南西部の島の、その右真下からやや上に上った隅に位置する。太平洋側に面した、人口五万人程の小さな町だ。

そしてそれは、宮崎県日南市近くの上空に突如として姿を現した。形は正三角形をしており、色は深い黒色だった。機体に窓のような構造物はなく、滑らかで、光沢のない、頑丈そうな金属で全て覆われている。大きさはちょうど戦車二台を横に並べて置いたくらいのものである。機体の底部は、動力源なのか、青白い光を放っていた。

その奇妙な、正三角形をした黒い飛行物体は、日南市の海岸線付近の上空を非常にゆっくりとした速度で飛行していた。飛行しているというよりも、むしろ浮遊しているといった感じに近い。

そしてその飛行物体のなかでは、これもまた黒色の、金属質な、身体の線がくっきりと浮きでるような衣服を身に纏った女性が、コクピットらしき場所に腰掛けていた。女性の顔は宇宙服のバイザーを思わせる、透明な覆いに覆われていた。そしてそのバイザーのなかにある、女性の顔は美しく整っていた。ギリシャ彫刻の彫像を思わせる、彫りの深い顔立ちだ。綺麗な弓形を描いた眉と、くっきりとした二重の瞳。そして通った鼻筋と、その下に広がる、いくらか厚みのある、濡れたような薔薇色の唇。肌の色は茶褐色で、髪の毛の色は黒だった。髪の毛の長さは背中のあたりまである。手足はすらりと長く、均整の取れた身体つきをしている。年の頃は二十四、五歳といったところだろうか。彼女は気を失っているのか、瞳を閉じてぐったりとして動かなかった。

「……ううっ」

エシュナ・バルシアスはうめき声と共に、つかの間の失神状態から意識を取り戻した。それから、ゆっくりと閉じていた瞳を開く。

ここはどこだ? エシュナはコックピットの外へ目を向けた。機体に窓はないのだが、機体の外の景色を内部の壁面に投影する装置があるので、問題なく外の様子を確認することはできた。

エシュナが眼下に目を下ろすと、海が見えた。どうやら自分はどこかの海上を飛んでいるらしい。更に前方に目を向けると、陸地らしきものが見えた。まず海岸線があり、その海岸線に沿って黒いものが走っている。恐らく道路だろう。

エシュナは首を傾げた。自家用航空機による移動が当たり前になったこの時代に、どうして眼下に見えるような原始的な道路を作る必要があったのだろう?

陸地の奥に目を向けたエシュナの疑問は更に深まることになった。陸地の奥には木材を組み合わせて作られたような小さな建物群があるのだ。

なんだ? これは? エシュナの思考の表層に最初浮かんだ素朴な疑問は、今や大きな混乱に変わりつつあった。それらの住居がエシュナの時代のそれと比べて、かなり原始的なものであるというのはもちろん、それらがエシュナがこれまで一度も目にしたことがないような形状をしていたからだった。

―――まるで異国の建物だ。エシュナは思った。それも、これまでに一度も発見されたことがないような特徴を持っている。しかし、エシュナのいた時代に、そのような未知のものが、存在しているとは到底考えられなかった。なぜなら、地球のありとあらゆる場所は探索され、調べ尽くされているからだ。今更未知の文明の発見等あるはずもなかった。それに、エシュナの世界の人々はどれほど貧しいひとであっても、もっと優れた、強度のある居住空間に住んでいる。

―――まるでこれは過去の世界ではないか?

エシュナはそこまで考えてから慄然とした。フラッシュバックするように、失神する前の記憶が蘇ってきた。

自分は敵機に追いつめられていた。敵機から発射されたミサイルが自分の搭乗しているヴィマナに当たる寸前だった。そのため、エシュナは駄目で元々のつもりで、転移装置のボタンを押したのだ。目的地を定めることなく。

それは一か八かのかけだった。通常そのようなことをすれば、亜空間に飲み込まれて死んでしまうことになる。

だが、しかし、ごく僅かながら、助かる可能性もあった。上手い具合に、偶然に、どこかへ辿り着けるという可能性も、全くのゼロというわけではなかった。だから、エシュナはその僅かな可能性にかけて、ボタンを押した。それに、どのみちこのままでいても、死を待つだけなのだ。だったら―――そう思って、エシュナはボタンを押した。

エシュナが転移装置のボタンを押した瞬間、エシュナの乗っていたヴィマナは暗黒に包まれた。エシュナの乗っているヴィマナは通常経験することのない、漆黒の暗闇のなかを猛スピードで落下していった。機体は激しく振動し、強い重力がエシュナの身体を圧迫した。そこで、エシュナの世界は暗転した。

そして気がつくと、エシュナは見知らぬどこかの上空を漂っていたのである。エシュナが気を失って操縦桿を握っていないあいだ、セキュリティー機能が働いてくれたらしく、上手い具合にヴィマナは自動操縦に切り替わっていた。エシュナの乗ったヴィマナは墜落することはなかった。

どうやら自分は助かったらしい―――エシュナはぼんやりとした感覚のなかで思った。本来は喜ぶべきところなのだろうが、事態はそう単純でもなさそうだとエシュナは思った。恐らく、あのとき、デタラメに転移値装置のボタンを押した際に、自分はどこかの過去の世界へとタイムスリップしてしまったようだ、と、エシュナは推測した。そういった例があるということを、エシュナは過去にヴィマナについて学んだ際に、誰かが話していたのを覚えていた。

それにしても、一体ここは過去の地球のどの時代なのだろう? エシュナは思った。エシュナは自分の知識を総動員して、さっき自分が見た建物に相当するようなものがなかっただろうかと記憶を探ってみたが、今のところ何も思いつけなかった。恐竜が生息している等の、一目瞭然の特徴があれば、エシュナにもすぐに判断できるのだが。

しかし、今眼下に見えている建物群に関しては完全にお手上げだった。皆目見当も付かない。エシュナが見知っている、どの時代のものとも、特徴が異なっていた。それに、そもそも、ここは、ほんとうに、過去の世界なのだろうか?

エシュナがそこまで思考を推し進めたところで、唐突に、狭い操縦席内に、警告音がなり響いた。どうやら無理な時空間移動が祟ったらしい。推進システムの一部に支障が出始めているようだった。このままではせっかく命が助かったというのに、ヴィマナが墜落して死んでしまうことになるとエシュナは焦った。どこかにヴィマナを着陸させなければ。エシュナは眼下の景色に目を凝らすと、人気のなさそうな山林を見つけた。そしてエシュナは自動運転から手動運転に切り替えると、そこに静かにヴィマナを着陸させた。

小説の続きはこちらからお読み頂けます

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新想社 SHINSŌSHA

小説 BROKEN WORLD

 

SHINSŌSHA SCIENCE FICTION
BROKEN WORLD
 
第一章 入り口

よく晴れ渡った、薄い水色をした空を、翼を持った生物が滑空していく。そしてその滑空していく生物の姿をぼんやりと不思議そうに見上げている男の姿がある。年齢はまだ若い。恐らく、十四、五歳くらいといったところだろう。あるいはもう少し上かもしれない。黄色い肌を持ち、頭髪の色は黒色だ。背の高さはまだ成長段階といったところで、百七十センチに僅かに届かないくらいの高さである。どちらかというと、やせてほっそりとした体型をしている。髪の毛の長さは前髪にかかるか、かからないくらいの長さで、やや癖がある。そしてやや細く高く尖った鼻。意志の強そうな二重の瞳。形の良い唇。綺麗な卵型をした顔の輪郭。少年はかなり整った顔立ちをしていると言えそうだった。もし、そこに同世代の女の子がいれば、あるいは彼の容姿にうっとりと見とれてしまうことになったかもしれない。しかし、彼が立っている周辺一帯に、同世代の女の子の姿は影も形も見当たらなかった。いや、それどころか、ひとの気配というものが全くない。完全な無人地帯である。少年が立っている周辺一帯は延々と続く瓦礫の山、ないしは半壊して、鉄骨が剥き出しになった鉄筋コンクリート造りのビルのみが存在しているだけであった。まるで戦争か何かで徹底的に破壊し尽くされてしまったあとのような世界である。あるいは巨大津波が全てを押し流していってしまったあとのような。というより、今から百年ほど前に、実際にそれに類したことがあったのだ。いや、もっと正確に言うと、それは今なお、現在進行形で続いている……。

ところで、少年はまだ上空を滑空していく生物を物珍しそうに眺めている。何故少年がそれ程までにその生物に引きつけられているのかというと、それはその生物が巨大で、なおかつ奇怪な姿形をしているからだった。その生物の体長は、ジャンボジェット機に相当する程の大きさがある。あるいはそれ以上か。体長20メートルを軽く超えている。いかにも硬そうな、黒い、ごわごわとした体毛で全身を覆われ、コウモリを彷彿とさせる両翼を持つ。顔は雄牛で、その頭には逆L字型に湾曲した角が頭部の左右から生えている。胴体は熊で、長い尾はサソリの尾を彷彿させた。それは、少年が今まで一度も目にしたことがない生物だった。まるで神話か何かのなかに登場してくる生物のようであった。少年は今自分が目にしているものが信じられなかった。果たして本当にこんな生物が実在しているのだろうか、と、少年は自分の目を疑った。というより、一体全体、何が起こったというのだろう、と、少年は激しく混乱していた。ここは一体どこなのだろう?

と、そうして少年がじっと空を見上げていると、上空を滑空している生物も、少年の存在に気がついたようだった。空中に一度に静止した後、そのコウモリのような両翼を激しくばたつかせて、少年目がけて一気に降下してくる。それはまるでスペインの闘牛祭りで、怒り狂った雄牛が赤いマント目がけて突進していくかのようだった。

少年は身の危険を感じたが、しかし、何故か思考が硬直したような状態になっていて、咄嗟に身動きすることができなかった。少年がそうして身動きできずにいると、少年は突然真横から強い力で右腕を引っ張られた。少年が驚いて隣を振り向いて見てみると、そこにはいつの間にかシルクハットに似た黒い帽子を被り、黒いマントのようなものを羽織った、まるで手品師のような格好をした男が立っていた。男は背が高く、浅黒く日焼けしていて、無精髭を生やしている。髪型は帽子をかぶっているせいでよくわからなかった。年齢は四十代前半くらいだろう。顔立ちそのものは悪くなく、どちらかといえば紳士的で端正な顔立ちをしていると言えそうだった。しかし、その彼の顔は今、強い怒りの感情のために大きく歪められており、紳士的な雰囲気は微塵も伺えなかった。

「おい! 坊主! 何をやっている! 死にたいのか!」

そのシルクハットのような帽子を被った男は、少年に向かって怒鳴りつけた。少年が男の顔を見上げるようにして何も答えられずにいると、シルクハットのような帽子を被った男は、少年の右腕を掴んだまま少年を無言でどこかへ引きずって行った。少年は男になされるがままに男のあとについていく形になった。

と、そうこうしているうちに、バサッバサッという、何か鳥の羽の羽ばたきを思わせる音が頭上から響いてきた。といっても、それは通常の鳥の羽の羽ばたきを何十倍にも増幅させたような音だった。更にその直後、まるで台風を思わせるような暴風が周囲一体に吹き荒れた(このとき少年は気がつかなかったのだが、なぜか少年とシルクハットの男が立っている地点だけはその暴風の影響を受けることはなかった)。少年が音と風が降ってくる方へ目を向けてみると、そこには先ほど上空を滑空していた、おぞましい姿をした生物の姿があった。生物の首の上についている雄牛の顔は、少年の目には一軒家程の大きさがあるようにも感じられた。少年は思わず悲鳴をあげてしまうことになったが、しかし、実際にはシルクハットの帽子の男が少年の口を手で塞いでしまったので、悲鳴をあげることはできなかった。ただ、くぐもった声にならない声が漏れただけである。

雄牛の頭に巨大な両翼を持ち、胴体は熊で、二本足で立つ生物は、地響きと共に地面に着地した。そして何か苛立った様子できょろきょろと周囲の空間を見回した。少年が観察している限り、どうやら雄牛の頭を持つ異形の生物には、自分たちの姿が見えていないようだった。どうしてこれ程までに距離が近いのに、雄牛の頭を持つ巨大生物に自分たちの姿が視認できないのか、少年は不思議に思ったが、しかし、なんにせよ、それは有り難いことだった。もし、自分の姿が雄牛の頭を持つ生物に目視できていたら、今頃とうの昔に自分の命は無くなってしまっていただろうと少年は思った。先程はあまりのことに身体が硬直し、身動きすることができずにいたのだが、しかし、少年はべつに今進んで死にたいと思っているわけではなかった。

少年は息を殺して、じっと事態の経過を見守った。走ってここから逃げ出してしまいたいのは山々だったが、しかし、今目の前にいる異形の生物に気付かれることなく、このまま逃走することはまず不可能だと思われた。恐らく、背を向けて走り出したその瞬間に捕らえられてしまうか、あるいは食い殺されてしまうことだろう。だから、今、逃走するのは危険だ、と、少年は判断した。それに比べて――それが一体どのような理由によるものなのかはまるでわからなかったが――しかし、とにかく、今この場所に留まっている限りは、安全なように少年には感じられた。だから、少年はしばらく様子を見てみることにした。少年の隣で、少年をここまで連れ来た、シルクハットの帽子を被った男も同じように息を殺してじっとしている。

と、そうして少年とシルクハットの男が巨大生物を目の前にしてじっと身を潜めていると、目の前にいる巨大生物は左右の空間を見回すのを止めると、顔を上に上げた。肺いっぱいに空気を吸い込んでいるのだということが見ていてわかった。巨大生物の胸部がたくさんの空気を取り込んで大きく膨らむ。それからその怪物はおもむろに大きく口を開いた。怪物が口を開くと、思わずゾッとしてしまうよう鋭利な牙状の歯が向きだしになった。と、少年がその化け物の、鋭利な牙状の歯の歯列に思わず目を奪われていると、突然、耳をつんざくような恐ろしい雄叫びが周囲の空間一帯に轟くことになった。それはライオンと牛の鳴き声を混ぜ合わせたような感じのする不気味な咆哮で、少年はあまりの恐ろしさに小便をちびりそうになってしまった。周囲の空気がビリビリと振動する。少年はその場から走って逃げ出してしまいたくなったが、しかし、その衝動をどうにか押しとどめた。この場から離れることは危険だ、と、本能が少年に命じていた。同じようにシルクハットの帽子を被った男も張り詰めた表情を浮かべてじっとその場から動かない。

すると、雄牛の頭を持つ、異形の生物は、威嚇しても効果がないと判断したのか、今度は怒り狂ったようにむちゃくちゃに腕を振り回し始めた。少年が見ていると、不思議なことに、雄牛の姿をした生物の手は人間のような形をしており、五本の指がついていた。そしてその手は今拳の形に握りしめられており、その拳が近くの廃墟となったビルの外壁に触れると、頑強なはずのビルの外壁はいとも簡単に粉みじんになった。――なんて恐ろしい破壊力なんだ、と、少年はゾッと血の気が引くように思った。もし、その拳で殴りつけられてしまえば、人間の肉体など一瞬にして血煙に変わってしまうだろうと少年は怯えた。

そして遂にそのときはやってきた。雄牛の頭を持った巨大生物の拳が少年たちのいる方向へと向かって振り下ろされてきたのだ。もう駄目だ! と観念して瞳を閉じた少年だったが、しかし、その後、通常は感じることになるはずの、衝撃も、激痛も、何も感じることはなかった。もしかしてもう自分は死んでしまっているのだろうかと少年は不思議に思った。自分でも気がつかないうちに自分は死んでしまっていて、だから、そのために、今自分は何も苦痛を感じていないのだろうかと少年は怪訝に思った。少年は恐る恐るそれまで閉じていた瞳を開いてみた。すると、熊の胴体に雄牛の頭を持つ巨大生物は、まだめちゃくちゃに拳を振り回し続けていた。その様子を見る限り、怪物の拳が自分の身体を直撃することはなかったようだ、と、少年は判断せざるを得なかった。あのとき、確かに、怪物の拳は自分の身体を直撃したはずなのに、でも、その拳は自分の身体をすり抜けてしまったのだ。全く不可解なことに……。そして観察している限り、怪物は未だにすぐ近くに自分たちがいるということに気がついていない様子だった。恐らく、自分の拳が一度は少年たちの身体を捕らえたということにさえ、目の前にいる怪物は気がついていないのだろうと思われた。見ている限り、怪物にわかるのは、ただ少年たちが近くにいるということのみであるようだった。

少年はわけがわからなかった。そしてそのうちに少年はハッと理解することになった。少年はそれまで気がつかなかったのだが、自分とシルクハットの男が立っている、ごくごく狭い範囲の空間を、何か半透明の青白い光の幕のようなものが包んでいるのだ。そしてどうやらこの光の幕が、雄牛の頭を持つ巨大生物の攻撃から、自分たちのことを守ってくれているようだと少年は気がつくことになった。一体どのような理屈からそうしたことが可能になるのかはまるで少年には理解できなかったのだが、しかし、とにかく、確かだったのは、今現在自分たちを包んでいる青白い光の幕が、自分たちのことを守ってくれているようだということだった。青白い光の幕のなかにいる限り、現実世界の物理的影響から逃れることができるようだった。青白い光の幕のなかは、現実世界から隔離された、何かべつ次元になっているように少年には思えた。実際、その後、怪物が少年とシルクハットの男がいる空間に向かって再び拳を突き出してくると、その拳は少年たちの身体をすり抜けて、反対側の空間へと突き抜けてしまった。そしてそれは実に奇妙な光景だった。というのも、少年の目の前に怪物の腕の断面があり(まるでCTスキャンされた人体の断面図のように、怪物の腕の筋肉組織と骨が見える)、背後の空間を振り返ってみると、怪物の腕の断面の向こう側、つまり、怪物の拳が後ろ側から見えているのだ。少年から見ると、ちょうと雄牛を姿した巨体の生物の、拳の手前付近の、筋肉組織と骨が見えることになる。

……一体、この自分たちの身体を包んでくれている光の幕はなんなのだろう、と、少年は純粋に興味を覚えることになった。そしてふと何気なく足元に視線を落としてみた少年は、そこに存在しているものに目を見張ることになった。というのも、少年の足元には何か魔法陣を想起させるものが描かれているのだ。それは三角形を組み合わせて作られた星の図形のようなものだった。その図形が青白く発光して、不可思議な光の幕を作り出しているのだ。……一体、この足元に描かれている図形はなんなのだろう、と、少年は更に興味を惹かれることになった。そのときには少年はもはやほとんど目の前に存在している巨大生物に対する恐怖を感じなくなっていた。代わりに、足元に描かれた図形に対する関心で、少年は頭が一杯になっていた。

と、少年がそのように、足元の地面に描かれた星の図形を夢中になって観察していると、ふいに、少年の耳に、バサッバサッという、また鳥の羽の羽ばたきを彷彿とさせる音が響いてきた。それと同時に強靭な風が辺り一帯に吹き荒れ、土ボコリがもうもうと舞い上がる。その風と音で、雄牛の頭を持つ、巨大生物のことを思い出すことになった少年がふと顔を上げてみると、そこには空中に向かって舞い上がっていきつつある怪物の姿が見えた。どうやら怪物は少年たちを捕らえることを、あるいは食べることを断念することにしたようだった。コウモリの翼を持つ牛人は、翼を大きく羽ばたかせて、大空高く舞い上がったかと思うと、そのままあっという間に空の彼方に見えなくなってしまった。

◆ ◆ ◆
こちらの小説を下記のリンクからお読み頂けます。
新想社 SHINSŌSHA

穴の向こうにある世界 ―ジョン・タイターが予告した並行世界の扉―

 

SHINSŌSHA OCCULT FILE

穴の向こうにある世界
―ジョン・タイターが予告した並行世界の扉―

MANDELA EFFECT × TIME TRAVEL × PARALLEL WORLD

近年、インターネット上には奇妙な体験談が絶えず流れ込んでくる。かつて確かにこうだったはずの記憶が、今ある現実とわずかに食い違う――そんな違和感を語る者たちの声だ。「マンデラ・エフェクト」と呼ばれるこの現象は、多くの人間が共有する記憶と、現実として存在する事実との間に生じたズレを指す言葉として、いまや世界中で語られるようになった。地図の形が違う。企業のロゴが違う。有名人の没年が違う。そうした無数の証言は、まるで我々がどこかの時点で「別の世界線」に滑り込んでしまったかのような感覚を人々に抱かせている。

しかし、これほどまでに並行世界という概念が一般に浸透するはるか以前――今から二十年以上も前に、すでにその実在をインターネット上で堂々と論じていた人物がいたことを、ご存知だろうか。

その名は、ジョン・タイター(John Titor)。時空を超えてきたと自称する、一人の「未来人」である。

第一章 二〇〇〇年代初頭に現れた「未来人」

ジョン・タイターがインターネット上の掲示板に姿を現したのは、二〇〇〇年代の初め頃のことだった。彼は自らを二〇三六年からやってきたアメリカ軍人であると名乗り、当時のインターネットユーザーたちを相手に、これから起こる出来事についていくつかの予言めいた投稿を残していった。その内容の多くは荒唐無稽なものとして受け流されたが、一部の記述が後の現実の出来事と奇妙な一致を見せたことから、彼の存在は瞬く間に都市伝説として語り継がれるようになる。

タイターが語った渡航の目的は、きわめて実務的なものだった。彼によれば、一九七〇年代に製造されたIBM5100という旧式のコンピューターには、後の時代のプログラム言語を解析できる特殊な機能が備わっており、二〇三六年の未来社会ではその機能が、崩壊した旧システムを修復するために不可欠になっているという。彼はその実機を手に入れるため、時間を遡ってきたのだと主張した。荒唐無稽でありながら、妙に具体的で生々しいこの動機こそが、当時の人々の想像力を強く刺激したのである。

第二章 カー・ブラックホールという「扉」

タイターの語った物語の中でも、とりわけ我々の興味を引くのが、彼が公開した独自のタイムトラベル理論である。彼は自らの移動原理として、カー・ブラックホール(回転するブラックホール)を利用する装置の存在を語った。

通常、ブラックホールの中心には「特異点」と呼ばれる、あらゆる物理法則が破綻する一点が存在するとされる。静止したブラックホールであれば、この特異点は周囲を「事象の地平線」という膜に覆い隠されており、外部から直接観測することも、接触することもできない。ところが、ブラックホールが高速で回転している場合、その特異点は点ではなくリング状に引き伸ばされ、理論上は事象の地平線の内部構造がより複雑になる。タイターの語ったところによれば、特殊な技術によってこの特異点を「剥き出し」にし、リング状の特異点の中心を通過することで、時間および空間を超えた移動が可能になるのだという。

興味深いのは、この理論構造そのものである。もしブラックホールが単なる「終着点」ではなく、どこかへと繋がる「通過点」なのだとすれば――その先には当然、出口が存在することになる。そしてタイターの主張が示唆していたのは、その出口が、我々が今いるこの世界とは「別の場所」、すなわち枝分かれした並行世界へと繋がっているという可能性だった。

第三章 出口の先にある「もう一つの世界」

タイターの理論が単なる「未来からの帰還」ではなく「並行世界からの帰還」として語られていた点は、今あらためて振り返ると極めて示唆的だ。彼は、自分がタイムトラベルによって出発した世界線と、実際に戻り着いた世界線とは、厳密には同一のものではないと語っていたとされる。時間を移動するという行為そのものが、無数に枝分かれする世界線のいずれか一つを選び取る行為に等しく、旅人が最終的にたどり着く先は、出発点と限りなく似ているが、決して完全には一致しない「隣り合った現実」なのだ、と。

もしこの理論を字義通りに受け取るならば、我々が日常的に感じる小さな違和感――かつての記憶と、今ある現実との間のわずかなズレ――もまた、まったく別の説明が可能になるかもしれない。すなわち、我々自身は移動などしていないにもかかわらず、世界の方が絶えず枝分かれし、我々はそのたびに「限りなく似ているが微妙に異なる隣の世界線」へと、静かに、気づかぬうちに乗り移り続けているのではないか、という仮説である。これこそが、マンデラ・エフェクトという現象を、タイターの理論という補助線を通して眺めたときに浮かび上がる、一つの恐るべき可能性なのだ。

おわりに

ジョン・タイターが本物の未来人であったのか、それとも極めて精巧に作り込まれた創作の産物であったのかは、二十年以上を経た今もなお、誰にも証明されていない。しかし彼が当時インターネット上に残した理論の骨格――回転するブラックホールという「扉」、その先に存在する「隣接した世界」という発想――は、マンデラ・エフェクトという言葉すら存在しなかった時代に、驚くほど早く並行世界の実在を予告していたと言えるだろう。我々が今日感じる記憶のズレの正体を探る旅は、もしかすると二十年前、一人の自称未来人が投稿した理論の中に、すでにその手がかりが埋め込まれていたのかもしれない。

新想社 SHINSŌSHA

ちなみに、わたしは上記のような発想をもとに小説を書いている。もしこのような話にご興味があるという方がいらっしゃったら、下記にリンクを貼っておくので、この機会に読んで頂けると、非常に励みになる。

www.amazon.co.jp

時空の歪みか、パラレルワールド移動か⁉ 西荻窪で起きた不可解な体験談‼

 

SHINSŌSHA OCCULT REPORT

消えた三駅間
――新大久保から西荻窪へ、電車ごと「意識」が跳んだ夜――

第◯話

インターネットの片隅には、常識では到底説明のつかない体験談がひっそりと眠っている。今回筆者が掘り起こしたのも、そうした「不可解」の名にふさわしい一件だ。結論を先に言ってしまおう。これは、ある人物が一瞬にして三駅分の距離を「瞬間移動」してしまったとしか思えない体験談である。

出典はヤフー知恵袋に寄せられた投稿。匿名の投稿ではあるが、その内容の生々しさは、単なる作り話として片付けるにはあまりに惜しい。本稿では、この体験をした人物を仮に「Aさん」と呼ぶことにする。

一、新大久保発、西荻窪行き

事の発端は、何の変哲もない夜だった。Aさんは友人数人と新大久保で遊び、解散後、最寄り駅である西荻窪へ帰るべく新宿駅から中央線に乗車したという。

電車はいつも通りに動いていた。東中野、高円寺、阿佐ヶ谷――なじみのある駅名が、車窓の向こうを規則正しく流れていく。特に変わったことは何もない。Aさんはスマートフォンを眺めながら、いつも通りの帰路をたどっていた。

そして、次の停車駅こそが、Aさんの目的地である西荻窪だった。降車の支度をし、扉の前で電車が停まるのを待つ。ごくありふれた、日常の一コマである。

二、電車が「新大久保」に着いた

ところが、である。

気がつくと、電車が到着したのは――なぜか新大久保駅だった。

一瞬、寝ぼけていたのかとも思ったという。しかし、そうではない。決定的なのは「時間」だ。Aさんが直前にスマートフォンで確認していた時刻から、ほとんど変化していなかったのである。もし居眠りをして乗り過ごし、無意識のうちに反対方向の電車に乗り換えて新大久保まで戻ってきたのだとすれば、当然それなりの時間が経過していなければおかしい。だが、時間はほぼ止まっていたかのように、さきほど確認したままだったというのだ。

つまりAさんは、西荻窪駅に到着しかけていた電車から、新大久保駅に到着しようとしている電車へ――時間差なしに、瞬間的に移動してしまったことになる。

三、科学は「瞬間移動」を否定する

現代の最先端科学をもってしても、人間を瞬間移動させることは不可能とされている。量子テレポーテーションの研究は確かに進んでおり、光子など粒子単位での「状態の転送」には成功しているが、それはあくまで情報レベルの話であり、人体のような膨大な原子の集合体を、空間を飛び越えて移動させる技術ではない。理論と現実の間には、埋めがたい隔たりがある。

ならば、Aさんの身に起きたことは、いったい何だったのか。

四、移動したのは「肉体」ではなく「意識」だった

筆者はここで、一つの仮説を提示したい。

Aさんは確かに瞬間移動した。しかし、それは肉体ごとの移動ではなく――「意識」だけの移動だったのではないだろうか。

もう少し具体的に説明しよう。この宇宙には、私たちが認識している世界のほかにも、限りなく似通った「もう一つの世界」が並行して存在しているという考え方がある。いわゆるパラレルワールド、あるいは多世界解釈と呼ばれるものだ。

Aさんの意識は、西荻窪駅にまもなく到着しようとしていた「こちら側の世界」から、ほんのわずかに枝分かれした「あちら側の世界」――ちょうど新大久保駅に電車で到着しようとしている、もう一人の自分の身体へと、転移してしまったのではないか。そう考えると、時間のズレがほとんど生じなかったことにも説明がつく。二つの世界の間には、誤差と呼べる程度のわずかな差異しかなかったのだ。

だからこそAさん本人も、自分が「別の世界に意識だけ移動した」とは、露ほども気づいていない。ただ「気がついたら新大久保にいた」という、奇妙な感覚だけが残ったのである。

五、これは、Aさんだけの話だろうか

もちろん、これは筆者の憶測の域を出ない。確固たる証拠があるわけではない。

しかし、インターネット上を注意深く見渡してみると、Aさんと似たような「瞬間移動としか思えない」体験を語る者は、決して少なくない。気づいたら見知らぬ駅にいた。数分の記憶がすっぽりと抜け落ちている。周囲の景色が、一瞬だけ違って見えた――。こうした断片的な証言の数々は、単なる偶然や記憶違いの集積として片付けてしまってよいものなのだろうか。

もしかすると私たちは、日常のごくありふれた瞬間の中で、気づかぬうちに幾度となく「隣の世界」を行き来しているのかもしれない。それを、あなたはどう思うだろうか。

それでは、また次の記事でお会いしよう。

新想社

SHINSŌSHA

死とは「無」ではなく「移行」なのか ―渋谷の女子大生が語った、1997年のもう一つの世界―

 

禁断の証言ファイル・第◯号

死とは「無」ではなく「移行」なのか
―渋谷の女子大生が語った、1997年のもう一つの世界―

死後の世界という幻想を超えて、量子論が示唆する「並行世界への跳躍」という可能性

人間は死んだらどうなるのか――。この問いに、人類は太古から二つの答えしか用意してこなかった。ひとつは「無に帰す」という唯物論的な結末。もうひとつは「死後の世界へ行き、やがて転生する」という宗教的な救済である。だが、もし第三の答えが存在するとしたらどうだろうか。死とは終わりでも、輪廻でもなく、「自分が死ななかった世界への静かな移行」であるという、恐ろしくも魅力的な仮説だ。

今回取り上げるのは、2025年にインターネット上へ投稿されたひとつの「記憶」である。投稿者が語るところによれば、彼は1997年頃、渋谷の街頭で行われていたインタビュー番組を偶然目にし、そこで語られたある女子大生の体験談が、今もなお脳裏に焼き付いて離れないのだという。真偽は定かではない。だが、この話には見過ごせない「整合性」がある。

第一章 1997年、渋谷。彼女は「電気自動車に轢かれて死んだ」

証言によれば、街頭インタビューに答えていたのは、ごく普通の女子大生だった。彼女は真剣な面持ちで、信じがたい体験を語り始めたという。

「私は電気自動車に轢かれて、確かに死んだはずなんです。でも気がついたら、自分の部屋のベッドで寝ていて……しかも、大学生だったはずの私が、なぜか高校生に戻っていました」

単なる「生き返った」という話であれば、臨死体験の一種として片付けられたかもしれない。しかし彼女の証言は、そこで終わらなかった。彼女は続けてこう語ったという。「これは単純に時間を巻き戻ったのではなく、パラレルワールドに来てしまったのかもしれない」と。

第二章 二つの世界の「ズレ」――電気自動車と、生きていた志村けん

彼女がこの世界を「別の並行世界」だと確信した根拠は、二つあったという。

① 電気自動車の普及度の違い
彼女がもといた世界では、1997年の時点ですでに電気自動車が一般的に街を走っていた。ところが目覚めたこの世界では、電気自動車はまだ存在すらしていなかった。

② 志村けんが生きていた
彼女の記憶では、志村けんはすでに肺炎に類する病で他界していたはずだった。しかしこの世界のテレビには、彼が何事もなかったかのように元気に出演していたという。

もしこの証言が本当に1997年になされたものだとすれば、実に興味深い。というのも、実際の志村けんは2020年に新型コロナウイルスによる肺炎で世を去っているからだ。彼女が語ったとされる「元の世界」の記憶は、まるで2020年代の未来を先取りしていたかのようにも読めてしまう。

第三章 「死」とは移行であるという仮説――量子論が語る不気味な可能性

この体験談が示唆するのは、次のような世界観だ。宇宙には無数の並行世界が存在し、それぞれの世界であなたは微妙に異なる人生を歩んでいる。ある世界であなたが致命的な事故に遭い「死」を迎えるその瞬間、あなたの意識は、あなたが死ななかった隣接する並行世界の「もう一人の自分」へと、静かに移行する――というものである。

これは物理学の世界で「量子不滅仮説(Quantum Immortality)」と呼ばれる思考実験と驚くほど近い構造を持っている。量子力学の多世界解釈では、観測者が死を迎える分岐と、生き延びる分岐が同時に存在するとされる。そして「死んだ自分」を観測することは原理上不可能であるため、主観的な意識は常に「生き延びた側」の世界線を辿り続けることになる――という、SFのようで、しかし一部の物理学者が真剣に議論してきた仮説である。

もしこの女子大生の体験が事実であるならば、彼女は死後の世界へ旅立ったのではなく、もともと並行して存在していた「もう一人の彼女」の肉体と意識に、統合されてしまったのかもしれない。人間は死なない。ただ、自分が死ななかった世界へ、永遠に移り住み続けるだけなのだ――そう考えると、背筋に冷たいものが走る。

第四章 マンデラ・エフェクトとしての側面

もっとも、冷静な視点も必要だろう。この2025年の投稿自体、投稿者本人によって「事実とは異なる記憶」、すなわちマンデラ・エフェクトの体験談の一種として語られたものであるらしい。志村けんという著名なコメディアンが新型コロナウイルスで他界したという事実に対し、「それ以前にも、似たような病で亡くなった記憶がある」と感じる人々が実際に存在し、そうした「集合的な記憶のズレ」から派生した創作、あるいは無意識の記憶の混濁である可能性は高い。

つまり、この体験談は誰かによる創作である公算が大きい。だが、それでもなお筆者はどこかで期待してしまう。マンデラ・エフェクトそのものが、実は「隣接する並行世界の記憶が、ふとした瞬間に紛れ込んでくる現象」なのだとしたら――。この投稿は単なる作り話ではなく、人類が無意識のうちに垣間見てしまった、並行世界の残響なのかもしれない。

死後の世界。そして、それとよく似た、しかしわずかに異なる並行世界。両者は似て非なるものでありながら、どこか本質的な部分でつながっているようにも思える。あなたがもし「自分は轢かれて死んだはずなのに、なぜか生きている」と感じる瞬間があったなら――それは、あなたが気づかぬうちに、隣の世界へと移り住んだ証なのかもしれない。

死後の世界は存在するのか。それとも、私たちは死ぬたびに、少しずつ違う世界を渡り歩いているだけなのか。皆さんは、どちらだと思われるだろうか。