我々は日常的に過去のことを振り返る。
たとえば強く印象に残っている特定の日々を思い出すこともあれば、日々のなんでもないことを思い出すこともあるだろう。
そしてこのとき我々の脳裏には、自分がそのとき見ていた光景が浮かぶことになる。ときには漠然と、またあるときには手に取って触れることができそうなくらいに鮮明に。
ところで、このとき我々が見ることになる光景というのは、単に自分自身の記憶に基づく光景を見ているに過ぎないのだろうか? つまり、僕が言いたいのは、過去を思い出して、そのとき脳裏に浮かんでくる映像というのは、単に記憶のなかの映像を見ているに過ぎないのだろうか、ということだ。
もちろん、この僕の問いかけに対して、多くの人が反射的に、それは当然記憶のなかの光景を見ているだけに決まっているじゃないか、と、お思いなられたことだろう。
そして実際その可能性は高いと僕自身も思う。
だが、必ずしもそうとも言い切れないのではないかというような気もするのだ。
つまり、どういうことなのかというと、我々は過去を思い返すとき、実は本当に、過去そのものにアクセスしているのではないか、というような気がするのだ。
何故そう思うのかというと、興味深い報告例があるのだ。
このことについては随分前に一度このブログでご紹介させて頂いたことがある。
『時間旅行 実話ゾーン』という、タイムトラベルや不思議体験について、一般の方が自分の体験や、知人から聞いた話を投稿する有名なサイトがあり、僕が興味を持った体験談はこのサイト上で紹介されていた。
詳細については皆さん各自ご自身で確認してもらいたのだが、簡単に内容を説明させてもらうと、催眠術師に催眠をかけてもらい、その状態で自分の幼少期へ戻ったところ、幼少期のことをありありと今まさに自分がそのときに戻ったかのように思い出すことができただけでなく、実際に、幼い頃の自分の身体を操作することができたということなのだ。
これはとても俄かには信じ難い話なのだが、しかし、記事を投稿された方が真実を述べているのだとすれば、これは簡易的なタイムトラベルに成功したということになりはしないだろうか?
更に興味深いことに、記事を投稿された方は、催眠術師に催眠をかけてもらい、奇妙な体験をしたあと、家に帰る途中、突然、幼い頃、自分の頭のなかに、大人になった自分の意識が入り込んでくるという奇妙な体験をしたことを思い出すことになったということなのだ。
つまり、このことが告げていることは、投稿者は催眠状態によって疑似的なタイムトラベルをしたわけではなく、本当に、実際に、過去の自分のなかへ移動できたことを現しているような気がする。現在のわたしが過去へと戻り、過去のわたしへと干渉したことで、タイムラインが上書きされたのではないか、というような気がするのだ。
そしてもし本当にこの僕の推測が正しければ、過去を振り返るときに、我々の脳裏に浮かぶ光景というのは、単になる記憶のなかの映像ではなく、実際に意識が過去と呼ばれる空間にアクセスして、その光景を見ているということになるのかもしれない。もちろん、過去を振り返るとき浮かんでくる光景が全てそうであるわけでないにしても。
記事の投稿者が今まさに自分がそこにいるかのように、臨場感を持って過去を体験できていたことからすると、過去を思い出して、ありありとそのときのことを思い出せている場合は、実際に過去そのものにアクセスできている可能性があるということになりそうだ。
そしてこの考えを飛躍させていくと、我々が未来の自分をありありと妄想できたとき、臨場感をもって未来を体験できたとき、それは即ち、本当の未来、可能性としての未来にアクセスできているということになるのかもしれない。
と、以上で今日のブログは終わりとなるのだが、皆さんはこのブログを読んで果たしてどうお感じになられただろうか?
また感想など聞かせてもらえると、筆者としては非常に励みになる。
ちなみに、僕はこのようなアイディアをもとに小説を書いており、様々な電子書籍サイトから販売している。もしこのような話に興味関心があるという方がいらっしゃったら、下記にそのリンクを貼りつけておくので、また気が向いたときにでもご覧になって頂けると、幸いである。
https://bccks.jp/bcck/175641/info
ではまたのブログでお会いしよう‼ チャオ。