『100万回言えばよかった』を見ての、幽霊に対する考察

 

 

 

今年の流行ったドラマに『百万回言えばよかった』というドラマがあるが、皆さんはご覧になられただろうか?

 

純愛に、サスペンスの要素が混ざった、とても面白いドラマだ。

 

少しネタバレになってしまうが、このドラマ『100万回言えばよかった』ドラマの主人公は、興味深いことに幽霊になった青年だ。

 

彼は犯罪グループの秘密を知ってしまったがために、その犯罪グループのひとりに殺害されてしまうことになる。

 

ところで、この幽霊となってしまった主人公は、最初のうち、自分が死んでしまったということに気が付けないでいる。

 

殺された直後の記憶がまるでなく、気が付くと、自宅のベッドで眠っていたため、自分はまだ普通に生きているものだと思って行動してしまうのだ。ドラマの前半部分は、主人公が自分が既に死んでしまっているのだということが上手く理解できず、戸惑ったり、苦悩したりするシーンが描かれることになる。

 

ちなみに、ドラマのなかで幽霊がどのような存在として描かれているのかというと、それは一般の人間が透明になって、物体に何も干渉することができなくなってしまった状態として描かれる。

 

そしてこの描写を見ていて、僕はふと思い出したことがあるのだ。それは何かというと、以前このブログでご紹介させて頂いたことのある「ひろし」さんという名前の幽霊のことだ。

 

『七四六家』という、普段主に心霊系のネタを扱っているユーチューバーの方がいらっしゃるのだが、そのチャンネルの準レギュラー的な位置に「くまこ」さんという方がいらっしゃる。そしてこの方はごく日常的にカジュアルに幽霊が見えてしまう方なのだ。

 

また更に興味深いことにこの「くまこ」さんには、普通に生きている人間と同じように意思疎通ができる幽霊の友人がいるのだが、それが最初にご紹介させて頂いた「ひろし」さんだ。

 

『七四六家』の動画のなかで、この幽霊「ひろし」さんは、「くまこ」さん同様準レギュラーのような存在で、彼は幽霊となった状態がどのような状態であるのか、実に詳細に語ってくれているのだが、その彼の説明と、ドラマのなかで描かれている幽霊の在り方が見事に一致しているのだ。

 

更に、死後直後の記憶がぼんやりとしているといった点まで一致している。初見の方がドラマ『100万回言えばよかった』を見たとしたら、そんなに都合よく自分が死んだ直後の記憶が失われているといったようなことなどあり得ないだろうと思うかもしれないが、しかし、「ひろし」さんの話によれば、これが案外あり得ないことでもないようなのだ。

 

実際、「ひろし」さんも自分がどうやって死んだのか、覚えていないということである。覚えているのは、死ぬ前の最後の記憶が病院に入院していたという記憶であるらしい。その後、具体的どうやって自分が死を迎えたのはわからないらしい。最後の記憶が病院なので、「ひろし」さんは、恐らく自分は病死したのだろう、と、判断されているようなのだが、しかし、本当のことは、本人にもよくわからないようなのだ。

 

よくテレビなどで、死後の世界から生還したひとの話が紹介される。そしてその話の内容は概ね、三途の川に行き、そこで両親や、知り合いから、まだこっちに来ちゃ駄目だと言われ、現世に返ってきたというような話になる。

 

だから、我々は死んだらすぐあの世的な場所にいくものだと思ってしまうのだが、しかし、実際はそうではないのかもしれない。最終的にはあの世に行くことになるのだとしても、最初の数瞬間、下手をすると、何十年ものあいだ、生きているときほとんど感覚は変わらないけれど、でも、誰からも認識されることがないという状態で、この現世を彷徨い続けることになるのかもしれない。

 

というか、ドラマ『100万回言えばよかった』の脚本を書いた作家は、絶対に死後の世界について詳しい人間だと僕は思うのだが、果たして皆さんはどう思われるだろうか?

 

と、以上で今日のブログは終わりとなる。このブログを最後まで読んでくださった方には感謝する。

 

なお、毎回書いていることで恐縮ではあるのだが、僕はこのような着想をもとに小説を書いており、その書いた小説を電子書籍として様々な媒体から販売している。もしこのような話に興味関心があるという方がいらっしゃたら、下記にリンクを貼っておくので、また気が向いたときにでもご覧になってもらえると、非常に嬉しい。

 

bccks.jp

 

では、またのブログでお会いしよう! チャオ。