過去何度も取り上げさせて頂いているマンデラ・エフェクトだが、最近また多くの人が共感できるマンデラ・エフェクト現象が起こったようだ。
恐らく多くの人が音楽の教室などで一度はベートベンの肖像画を目にしたことがあると思うのだが、皆さんはその肖像画の絵がどんなものだったか、覚えているだろうか?
ちなみに、僕が覚えているベートベンの肖像画は、憤怒に近い表情を浮かべているベートベンが羽ペンを持っているところだ。
ところが、実際のベートベンの肖像画は、表情がだいぶマイルドになり、羽根ペンではなく、鉛筆を持っている。
僕はこのベートベンの肖像画に違和感を覚えて仕方ない。僕の記憶のなかでは、彼は絶対に、もっと怒った顔つきをしていて、羽ペンをもっていたはずなのだ。
にもかかわらず、それがいつの間にかなかったことになってしまっている。
このように、我々のあずかり知らぬところで過去は変わり続けている―――つまり、マンデラ・エフェクト現象は進行し続けているわけであるが、最近僕が知ったyoutuberの方が述べていたところによれば、現在このようにマンデラエフェクトが現象が起こっているのは、複数の世界線が統合されているからであるしい。
そしてこの複数ある世界線が統合されるとき、多数派を占める記憶に基いて、世界線、事実は改変されていくことになるので―――我々のような少数派は、マンデラ・エフェクトを体験することになるのだということだった。
嘘か本当かわからないところではあるが、興味深い考察である。
ちなみに、僕はこのような話をもとに小説を書いている。下記にその一部を掲載しておくので、もしご興味があるという方がいらっしゃったら、読んで頂けると幸いである。
1
あなたはかつて火星に文明が存在し、そしてちょうどその頃、地球には今と同等か、もしくそれ以上の文明が存在していたと言ったら笑うだろうか?そんなことはあり得ない、と。それとも、いや、そういうことだってあっても可笑しくないと真剣に耳を傾けるだろうか?恐らく、ほとんど全てのひとが前者だと思う。無理もない。僕だってちょっと前までそんなことを言われたりしたら眉をひそめるか、あるいは笑い飛ばすかしていたと思う。そんなことはあり得ない、と。馬鹿げている、と。しかし、事実は違うのだ。
実を言うと、僕はついさきほど五十万年前の地球から現代の地球に戻ってきたところだ。いや、話が飛躍し過ぎた。話を戻そう。そもそも僕がどうしてかつての火星に文明が存在すると信じるに至ったのか、何故僕が五十万年前の地球に行くことができたのかについて。これから僕が語ることは誓って真実だ。どうか信じてもらえたらと思う。
2
順番に話そう。まずは事の発端から。さっきはああ書いたものの、実を言えば僕はどちらかというとオカルト的な話題を好む人間だ。オーパーツだとか、ムー大陸だとか、古代核戦争とか、そういった眉唾的な話。荒唐無稽。超科学的な話。
でも、誤解しないで欲しいのだけれど、べつに僕はそういった話を真剣に信じていたわけではない。(結果的にいくつかのことは真実だったけれど)もしそういうことが本当だったら面白いな、楽しいな、と、謂わば読み物として、フィクションとして楽しんでいただけである。
そして僕はその日、いつものようにそういったオカルト的な新情報はないかとネットサーフィンをしていた。しかし、ここ連日のようにそういった情報を検索していたせいか、これといって目ぼしい情報を見つけることはできなかった。だいたいは過去に見たことのある記事か、あるいはあまりにもオカルト的に話が飛躍し過ぎた記事ばかりだった。ふと部屋の時計に目を向けると、時計の針はもう午前の二時を指していた。僕はさすがに眠気を感じた。さて今日はもう眠ってしまおうと僕は思った。
でも、その次の瞬間、コンピュータースクリーンのなかに気になる文字を僕は見出した。それは個人のブログで、タイトルの見出しには「僕は二千百年からタイムスリップしてきた未来人です」と書かれてあった。どうせ誰かの悪ふざけだろうと思う反面、そういったオカルト的な話題が大好きな僕は興味を惹かれないわけにはいかなかった。たぶんがっかりすることになるだろうなと予期しつつも、僕はそのサイトに飛んでみた。
たぶん、信じてもらえないだろうけれど、と、そのブログの作者は書いていた。実を言うと、僕は二千百年からのタイムトラベラーなのです、と。その一見何の変哲もない書き出しは、何か殊更に自分が本当のタイムトラベラーであることを誇示しているようで胡散臭くもあり、逆に言えばあまりにもその平明な文章の書き方がもっともらしく感じられて、僕は自然と文書に引き込まれていった。
書かれている文章を要約するとだいたいこういうことになった。彼、つまりブログの作者は、西暦二千百年の未来から過去の地球の歴史を観察するためにタイムトラベルしてきたようだった。とはいえ、そもそも彼が目的としていた年代は今の地球(つまり僕たちが生活している地球時間)ではなく、もっと遠い過去だったらしい。というか、実を言うと、もともとは目的の地球時間に辿り着くことはできていたらしいのだけれど、仲間の裏切りに合い(このあたりがどうも作り話めいていて嘘臭いなと思ったけれど)、命からがら僕たちの居る今の地球にタイムトラベルしてきたらしかった。どうして自分が本来居た未来に戻らないのかというと、時間線の関係がどうとかこうとかで上手く戻れなかったらしい。このあたりの説明は素人の僕にはよくわからなかったけれど、彼がもといた未来に戻るためには何か複雑な手順を踏まなければならないらしい。でも、現段階ではそれができずに、現在の地球にやむなく留まっているらしかった。
このブログを閲覧している人間の数は決して多くはないようだったけれど、その反面、みんなそれなりに興味を持っているようで、様々なひとがコメントを寄せていた。とは言っても、そのほとんどがからかい半分のコメントだったけれど。でも、なかには僕のようにかなり真剣に興味を持っている人間もいて、そういった人間からの問い合わせ対してできる限りブログの作者も丁寧に答えていた。彼の時間旅行の目的。タイムトラベルの方法について。いつタイムマシンは完成したのか。それらの回答は面白半分に書いているにしては妙に理論整然としていて、そんなことがあり得るものだろうかと首を傾げたくなりながらも、つい、もしかしたら本当かもしれないなと思わせるような説得力があった。
というわけで、僕も彼に対してメッセージを送ってみることにした。あなたは本当に存在しているのか。もし存在しているのであれば、直接会うことは可能だろうか。僕の友達にタイムマシンについて研究している人間がいるので、もしかしたら何か協力できることがあるかもしれない、と。メッセージの最後に自分のメールアドレスを記載して送信した。もし、興味を持ってもらえたら、このアドレスに直接メールを送って欲しい、と。そして、返信なんかあまり期待せずに僕はパソコンをシャットダウンした。しかし、意外なことに、次の日パソコンを開いてみると、ブログの作者からのメッセージが届いていたのである。
そして以下が、ブログの作者からのメールの内容になる。
三
やあ、メッセージをどうもありがとう。早速メールをしてみることにしたよ。ブログにも書いていたと思うけど、僕の名前は田中雄二。未来人のくせに妙にありきたりな名前だなと思ったかもしれないけど、でも、考えてみて欲しい。西暦二千百年というのはきみたちが暮らしている世界からそんなに遠い未来じゃないんだ。従って、名前だって現在の日本人の名前と全く変わらないんだよ。まあ、もっとも、なかには凝った変な名前のひともいるし、昔に比べると国際結婚も進んでいるから、最近はちょっとユニークな名前のひとも増えてきてはいるけどね。でも、それはともかくとして、西暦二千百年の日本人のほとんどのひとがきみたちの年代の頃と変わらない名前を名乗っているよ。渡辺聡とか。中村悟とかね。ごく普通だ。
……申し訳ない。話が逸れた。とにかく、何が言いたいのかというと、僕は現実に存在しているし、きみと直接会うことも可能だということだ。きみはまだ半信半疑、というか、ほとんど信じていないだろうけど、誓って僕は未来からやってきた人間だよ。決してきみをからかって遊んでいるわけじゃない。信じて欲しい。難しいとは思うけれど。でも、僕としてはそうとしか言いようがない。
それから、どうして僕がきみに興味を持ったのかというと、きみの友達にタイムマシンについて研究している友達がいるという記述があったからなんだ。あれは本当のことなんだろうか? 実を言うと、僕はちょっと困った状況に陥っているんだ。ブログにも書いたと思うけど、タイムマシンが故障していてね、戻れないんだ。未来に。もちろん、過去へも。どこへも行けなくなってしまったんだ。これくらいだったら何とか自力で直せると思ったんだけど、予想外に手こずっている。
というのは、この世界線が僕の居た世界線と思ったよりもズレが大きくて……いや、こんなことは書いても仕方がないね。つまり、僕が言いたいのはどういうことかというと、きみの友達に助けてもらえたら嬉しいということなんだ。きみの友達の研究がどれくらい進んでいるのか、僕としては知りようもないけれど、でも、もしかしたらなんとかなるかもなんて期待している。まあ、最悪、なんとかならなくても、きみたちと直接会って話しをしてみるのも悪くないかなと考えているんだ。そしたら、そこから思いがけず、良いアイディアが浮かぶかもしれないしね。
とにかく、返事を待ってるよ。
四
僕はブログの作者からのメールを、つまり田中雄二と名乗る未来人からの手紙を二度か三度読み直した。うーんと、僕はパソコンの前で首を捻った。常識的に考えれば、どこかの暇人が面白がって書いているとしか思えなかったけれど、でも、その一方で、僕のオカルト的な趣向があるいはもしかしたらこれは本当なんじゃないかと期待させてもいた。
よし、と、僕は決めた。なんだか胡散臭いけれど、この田中雄二と名乗る未来人に会ってみよう、と。最悪何かの悪戯だったとしても、というか、その可能性の方が高いわけだけれど、でも、そうであったとしても、それほど失うものがあるわけじゃない。悪戯だったとしても、べつにそれはそれで構わないじゃないかと僕は開き直ることした。
そして僕は早速田中雄二にメールを書き始めた。
返信ありがとう。まさか返事がもらえるとは思っていなかったからすごく驚いている。田中さんの話は非常に面白くてわくわくさせられている。できれば近いうちに会えないだろうか?
僕の友人の研究の進捗状況は正直僕としてもよくわからない。何しろ僕はタイムマシンとか、科学とか、そういった分野については門外漢だからね。でも、とにかく、友達にも連絡を取ってみるよ。未来のひとたちから見ると、僕たちの時代のテクノロジーなんてすごく稚拙なものでしかないだろうし、役に立つかどうかわからないけれど、それでも何もないよりはマシだっていうこともあるだろうしね。田中さんの役に立つことができたら嬉しい。でも、それはそれとして、僕の友達はすごく忙しくて、もしかしたらすぐに彼と会うことは難しいかもしれない。それでというわけではないんだけど、まず田中さんと僕とでこれから会うというのは難しいだろうか?
まず僕と田中さんとで会って簡単な打ち合わせをし、それから友人と会う機会を作れたらと思っている。べつに疑っているわけではないんだけど、でも、田中さんの話は現代人の感覚からするとあまりにもぶっ飛び過ぎていて、こちらとしてはどうしても慎重になってしまわざるを負えないんだ。特に僕の友達はそういったことに対して懐疑的な傾向があって、まず僕自身がきみと直接会って確信を得たいというところがある。きみがほんとうに未来人なんだっていうね。もし気分を害してしまったとしたら申し訳ない。いずれにしても、返事をお待ちしている。
だいたいそんなようなことを書いて僕はメールを送信した。そしてメールを送信し終えたあとに、僕は友人に電話をかけてみた。大学でタイムマシンについて研究している友達に。
五
「なんだよ。今、忙しいんだ」
僕が電話をかけると、近藤学は苛立しそうな声で電話に出た。僕が電話をかけると、彼はいつだってかりかりしている。僕と違ってひどく忙しいのだ。近藤学は僕の小学校からの幼馴染で、今は某有名大学で物理学の助手をやっている。年齢は僕と同い年で二十八歳。独身。背が高くて、俳優にだってなれそうなくらい整った顔立ちをしている。だから、彼はうんざりするくらい持てるのだけれど、あまり女性に興味がないのか、というよりは研究第一主義といった人間で、現在は付き合っている恋人もいない、らしい。ほんとうかどうかはわからない。確かめたわけじゃない。まあ、それはどうだっていいことだ。とにかく、彼は大学で講師をやりながら、空いた時間を利用して自分の研究を続けている。田中雄二には興味を持ってもらうために近藤がタイムマシンの研究をしていると言ったものの、実を言うと、近藤が研究しているのはタイムマシンというよりも量子力学だ。
じゃあ、僕が大ぼらを吹いたのかというとそうでもなくて、タイムマシンと量子力学は非常に近いところにあるのだ。というか、らしい。僕も詳しいことはわからない。僕は文系の人間で細かい理論のところはよくわからない。でも、以前近藤と話したときに、近藤が量子力学を発展させていくと、もしかすると、タイムマシンを作ることが可能かもしれないと話していたことを覚えている。だから、友人がタイムマシンの研究をしていると書いたことはあながちデタラメともいえないだろう、と、思う。実際、近藤が今研究しているのは粒子を使ったタイムトラベルの実験らしい。粒子という非常に小さな単位ものであれば、タイムトラベルをすることが可能かもしれないらしいのだ。この研究が進めば、過去や未来に情報を送ることができるようになるかもしれないらしい。
「忙しいのはわかってるよ。でも、もしかしたら世紀の大発見かもしれないんだ。恐らく、近藤もすごく興味があることだと思う」
近藤は僕の言ったことについて吟味するように少しのあいだ黙っていた。
「なんだよ。それ」
近藤はいくらかの沈黙のあとで小さな声で言った。
「タイムトラベラーさ」
僕は得意気に言った。
「はあ?」
近藤は露骨に不機嫌そうな声を出した。僕にからかわれていると思ったのだろう。無理もない。
「俺、忙しいんだよ。今も研究の最中なんだ。そんなくだらない冗談言うために電話をかけてきたんだったらもう切るぞ?」
「いや、だから、違うんだ」
僕は近藤がほんとうに電話を切ろうとしているのがわかったので慌てて言った。
「何が違うんだよ」
近藤は電話を切りはしなかったものの、かなり苛立っている口調で言った。
「近藤がからかわれていると思うのも無理ないけど、でも、違うんだ。ほんとうのタイムトラベラーが実在するかもしれないんだ」
僕は近藤に電話を切られてしまわないように、できるだけ真剣な声を出すように努めた。
すると、そのかいあったのか、近藤は電話を切らすに黙っていた。僕は言葉を続けた。昨日ネットで面白い記事はないかと色々見ていたら、たまたま西暦二千百年からやってきたという未来人のブログを見つけたこと。悪戯にしては妙に様々な説明に筋が通っていたこと。試しにメールを送ってみたところ、本人から連絡があり、もしかしたらこれから会うことになるかもしれないこと。その他、田中雄二にまつわるもろもろについて。
「近藤はどう思う?」
僕は全てを話し終えたあとで近藤に訊ねてみた。
「どう思うって言われてもなぁ」
「やっぱりただの悪戯だと思う?」
そりゃあ、そうだろう、と僕は近藤が呆れた声で言うと思っていた。でも、近藤のリアクショクは僕の予想とは少し違うものだった。
「どうだろうな。悪戯の可能性は高いと思うけど、でも、意外とほんとうだったりしてな?……そのタイムトラベルの仕方とか色々、妙に具体的なところが気になるよな」
近藤は考え込んでいる口調で言った。僕は近藤がまさか自分の話に真剣に耳を傾けくれるとは思っていなかったので正直驚いた。僕が驚きのあまり黙っていると、
「おい、聞こえてんのか?」
と、近藤は携帯電話の電波の調子が悪くなったと思ったのか、大きな声を出した。
「いや、ごめん。ちゃんと聞こえてるよ。ただ、近藤がまさか僕の言葉に耳を傾けてくれるとは思っていなかったから、なんか意外な気がして」
「お前が言い出したんだろ」
近藤は僕の返答に可笑しそうに軽く笑った。僕もつられるようにして少し笑った。
「いずれにしても、まだその未来人からのメールの返信は来ていないからこれからどうなるかわからないけど、もしかしたら今日か、明日のうちに会うことになるかも」
僕は言った。
「まあ、せいぜい、その未来人に未来に連れて行かれないように注意するんだな」
近藤は冗談めかして言った。
「まあ、それも悪くないよ。ちょっと未来の世界っていうのを見学してくるのも楽しそうだ」
僕も近藤の言葉に冗談で返した。
「とにかく、向こうが会う気になったら会ってみるよ。未来人と会う機会なんて滅多にないしさ」
僕は言葉を続けた。
「それで場合によっては近藤にアドバイスをお願いすることになるかもしれない。さっきも話したと思うけど、その未来人は未来に戻れなくなって困ってるらしいんだ。で、ときと場合によっては物理学者である近藤くんの出番となるかもしれない」
「いよいよこの天才の出番てっわけか」
近藤はおどけてそう答えると軽く笑った。僕はぜひとも天才に協力をお願いしたいと言って電話を切った。
六
果たして、田中雄二と名乗る未来人からの連絡は夕方頃に届いた。以下がそのメールの文面になる。
やあ、返信ありがとう。連絡が遅れて申し訳ない。メールが来ているのに気が付かなかったんだ。
僕としては気分を害してなんか全然ないよ。むしろ、いきなり僕は未来からやってきた人間ですなんて言われて信じろという方が無理があるものね。きみが慎重になるのは当然のことだと思う。こいつは頭が可笑しいんじゃないか、何かの悪戯なんじゃないかってね。僕がもしきみの立場だったら、やはり同じように思っただろう。友達が忙しいのも了解した。
で、きみの申し出についてなんだけど、とりあえず、僕ときみのふたりだけで会おうという提案だね、僕としては全然構わないよ。なんなら今からでもいいけど、どうする?
僕は田中雄二からのメールを読んで正直ちょっと焦った。というのは、まさか彼がすんなり僕と会うことを承諾するとは思っていなかったからだ。もしかしたらほんとうに未来人なんじゃないかと期待しつつ、その実、やはり全ては悪戯で、田中雄二は僕と直接会うことをなんだかんだと理由をつけて拒み続けるんじゃないかと予測していたのだ。
ところが、その推測は大きく外れることになった。田中雄二は僕と直接会っても構わないと言う。なんなら今からでも構わないと言うのだから、こちらとしてはいささか調子が狂ってしまう。おいおい、まさか田中雄二は本当に未来人なのか? そんなことがあり得るのか? そういうのは映画とか何かのテレビの特番だけの話じゃないのか? 僕は自分の手のひらが興奮と緊張で湿ってくるのを感じた。僕はもう一度田中雄二のメールの文章に目を通した。そして返信を送った。
返信ありがとう。じゃあ、早速だけど、今日会わないか? 場所はどこでも構わない。田中さんに会わせるよ。正直、これから未来人と会えるとわかってかなり緊張している。
僕が送ったメールに対してすぐに返信が帰ってきた。
今日だね。了解した。じゃあ、今から二時間後に新宿のアルタ前で待ち合わせはどうだろう? きみがわかりやすいように僕は赤い帽子を被っていくよ。それから黒い鞄を持っている。アルタ前にそんな恰好をした人間がいたら、それが僕だということになる。あるいは新宿はきみの家から遠すぎるだろうか? そうであればきみに合わせることも可能だよ。
ところで、きみは未来人に会うことになってすごく緊張していると書いていたけれど、どうか安心してもらいたい。僕が未来人であるとは言っても、きみのいる世界からたかだか八十年ちょっと先の人間なだけだ。きみたちと何ら変わらない、ごくごく平凡な人間だよ。きみが僕に会ってがっかりすることになっても困るから先に言っておくけどね(笑)
待ち合わせ場所についてだけど、移動の時間もあるので、なるべく早く返事をもらえたらと思う。では。
僕も田中雄二のメールに対してすぐ返信した。
迅速な対応ありがとう。オッケー。新宿のアルタ前だね。僕の家からすぐ近くだよ。問題ない。僕もきみがわかりやすいように青色の帽子を被っていくよ。それにしても、赤と青の帽子の二人組か。これじゃまるで漫才師だね(笑)
ところで、きみは自分にあまり期待するなというようなことを書いていたけれど、でも、こちらとしてはどうしたって期待してしまうことになる。なんと言っても、生まれてはじめて本物のタイムトラベラーと会うわけだからね。
いずれにしても、早く本物のきみにお会いしたい。それでは二十時に新宿のアルタ前で。
七
僕はメールの返信を終えるとすぐにパソコンをシャットダウンし、浴室に行って髭を剃って歯を磨き、服に着替えた。もちろん、青色の帽子も忘れずに被る。これだけのことをするのに三十分近くかかった。部屋の時計に目をやると、既に時刻は十九時になろうとしていた。
僕の最寄り駅は西武新宿線の東伏見という駅で、そこから新宿までは電車だけの移動であれば二十分くらいでいける。でも、実際には駅まで徒歩で向かう時間や、電車を待つ時間、さらには待ち合わせ場所まで向かう時間なども考慮にいれなければならず、僕はちょっと焦った。普段は駅まで徒歩で向かっているのだけれど、この際自転車で向かうことにする。乗ってきた自転車は駅前にあるスーパーの前あたりに放置して駅までダッシュした。そんなことをしようとすれば、普段は放置自転車を監視しているおじさんがいて注意されるのだけれど、さすがにこの時間帯は勤務時間外なのか、誰にも咎められることはなかった。
駅のホームに降りると、ちょうど上手い具合に準急電車がやってきた。文字通り、僕はやってきた電車に飛び乗った。かなり急いだので息が荒い。僕が電車のなかで荒い息をついていると、乗客の何人かが奇異な面持ちでこちらをちらちらと見てくるのがわかった。無理もない。僕だってもし逆の立場だったら、何事かと気になっただろう。恥ずかしいのと居心地が悪いのとで、僕は顔を伏せるようにして電車のなかを歩き、前の車両に移動した。そして目についた席に腰を下ろす。この時間帯から新宿方面に向かう人間は少ないようで、電車はがらがらに空いていた。反対側の席には誰も座っておらず、電車の窓に自分の顔が淡く浮かびあがって見えた。
果たして未来人、田中雄二は僕のことを見てどう思うだろうか? あまりパッとしない、冴えない男が来たなとがっかりするだろうか。
僕は窓ガラスに映る自分の顔を検分してみた。オーケー。彼はがっかりするだろうなと思った。だって僕は友人の近藤とは違ってあまりハンサムとは言えないから。不細工とまではいかないにせよ、そんなに自慢できる種類ものじゃない。人間は外見じゃなくて中身だというけど、中身についてもあまり自信がないのが正直なところだ。怠け者だし、出不精だし、何かを率先してできる方じゃないし。まあ、悪人ではないと思うけれど。でも、僕の長所ってなんだろうと考えてすぐには浮かばず、なんだか物悲しい気持ちになった。
と、そんなことをぼんやりと考えているうちに電車は新宿駅に到着した。電車から降りると早足で改札を出る。新宿なのでかなりひとが多く、なかなか思うようなスピードで歩くことができない。それでも可能な限り僕は急ぎ、なんとか待ち合わせ時間の五分以上前には目的地に到着することができた。
八
少し緊張しながら待つこと十分以上が経過した。周囲を見回してみるが、赤い帽子を被った人間---つまり田中雄二らしき人物が現れる様子はなかった。やはり悪戯だったか、と、がっかりするのと同時に、ちょっと安心している自分もいた。というのも、本物の未来人がやってきたらどうしようと僕はびくついていたのだ。近藤の話ではないけれど、未来に連れ去られてしまうようなことがあったらどうしようと、そんなことはあり得ないとわかっていながらも、若干恐れている自分がいた。それでなくても、よく知らない、見ず知らずの人間と会うというのはそれなりに緊張するものである。と、そんなふうに僕が緊張を解きかけた瞬間、
「すみません」
と、ふいに女の人の声が聞こえてきた。思わずドキリとして周囲を見回してみると、僕のすぐ目の前に比較的小柄な女の人が立っていた。そしてその女のひとは赤い帽子を被っていた。うん? 目の前に立っているこの女の人が、田中雄二なのだろうか? でも、女の人だし……僕が混乱して黙っていると、
「もしかして、原田さんですか? 原田慎吾さん?」
赤い帽子を被った女の人は不安そうな面持ちで僕の顔を見ると、僕の名前を呼んだ。
「えーと、いや、あの、そうだけど」
僕は女性の質問にいくらかしどろもどろになりながら答えた。いかにも恰好悪い。でも、僕の名前を知っているということは、やはり彼女がメールでやりとりをしていた田中雄二ということになるのだろうか? でも、女だし。女で雄二という名前のひとがいるのだろうか? それとも田中雄二は急に都合が悪くなって、彼女が代理できたのだろうか? 僕が戸惑っていると、
「びっくりさせちゃってごめんなさい」
と、彼女は頭を下げて言った。それから彼女はそれまで被っていた帽子を取った。すると、それまで判然としていなかった彼女の顔が、新宿の明るい街の光のなかに明らかになった。
明るい光の下に現れたのは、どこからどう見ても女の子の顔だった。年齢は二十五歳くらいだろうか。もしかするともっと若いかもしれない。目が大きくて、鼻は何か対して反抗するようにつんと小さく上を向いている。少し厚みのある小さな唇は健康そうな明るい林檎色をしていた。髪の毛の長さは肩のあたりくらいまでで、それを淡い茶色に染めていた。結構可愛いひとだなと僕は思った。いや、結構じゃない。僕が過去に出会ってきた女の子のなかでもたぶん一番目か二番目くらいに可愛い女の子だった。もしかしたらニューハーフである可能性もあったけれど、でも、その可能性は低そうだった。何しろ声が完全に女性のものなのだ。もしかしたら、最近は声だって女性的に矯正できるのかもしれなかったけれど。とにかく、僕は目の前の女性に一目で好意を持った。恥ずかしい話、彼女が未来人であるかどうかなんて途端にどうでも良くなって、そのあたりにどこにでもいるような可愛い女の子に目がないバカな男のひとりに僕は成り下がってしまっていた。頭が一瞬、真っ白になった。
「実はわたしが田中雄二なんです。その、未来人って書いた」
僕が彼女の可愛さに目を奪われていると、田中雄二と名乗った女性はいくらか俯き加減に申し訳なさそうな声で言った。
「失礼?」
僕はぼんやりとしていたので彼女の言ったことが上手く理解できなかった。すると、彼女はそれまで伏せていた顔をあげて僕の顔を見ると、
「だから、わたしがメールでやりとりをしていた人間なんです」
と、彼女は少し声を大きくして言った。
「つまり、きみは男なの?」
僕はたぶん見当違いな質問をした。
すると、彼女は違うというようにぶんぶんと大きく首を左右に振った。それから彼女が僕に説明してくれたところによると、だいたいこういうことになった。田中雄二というのは、彼女のお兄さんの名前で、彼女はインターネット上で偽名を使っていたらしかった。どうしてそんなことをしていたのかというと、半分は女性と出会うことを目的に近づいて来ようとする男から身を守るためと、あとの半分は普段とは違う自分になってみたいという遊び心かららしかった。ちなみに、彼女の本名は田中唯というらしかった。とりあえず、ニューハーフの可能性は消えたわけである。
「うーん。ということは、あれも嘘なの? きみが未来から来たっていう」
僕は周囲の人間の反応が気になったので、心持ち小さな声で訊ねてみた。すると、田中唯は首を振った。
「ネットに書いたことは本当です」
田中唯は短く答えた。
「わたしが未来から来たっていうのも、それから過去に時間旅行をして、色々あってこの世界にタイムトラベルしてきたっていうのも」
僕は田中唯の言葉に上手くリアクショクを取ることができなかった。時間旅行とか、タイムトラベルという言葉が実際の人間からさらりと出で来るとなんともいえない迫力があった。どう考えても田中唯が僕のことをからかおうとして適当なことを言っているようには見えなかった。ただ、田中唯が真剣であったとしても、やはりタイムトラベルというのはあまりにも現実離れしているので、彼女がありもしない空想に取りつかれてしまっていると考えた方が理屈にかなっているのかもしれなかった。でも、彼女の目に宿る光は至ってまともだったし、変な妄想に取りつかれているようには見えなかった。まあ、もっとも、僕の方に彼女が本物のタイムトラベラーだと思いたがっている要素があったことは否定できないのだけれど。
「とにかく、立ち話っていうのもなんだし、どこか適当に喫茶店でも入ろうか?」
と、僕は言った。言ってから彼女を安心させようとして僕はできる限り穏やかな笑顔(もしかしたら他人から見るとかなり気持ち悪い表情になっていたかもしれない)を浮かべた。
「そうですね」
と、彼女は僕の提案に、やっと少し緊張を解いたような、安堵したような小さな微笑を口元に浮かべた。
九
僕と田中唯は新宿の街を少し歩いて、落ち着いて話をすることができそうな喫茶店を見つけて入った。注文を取りに来たウェイターに僕も田中唯もコーヒーを注文した。注文したコーヒーはすぐに運ばれてきた。僕はブラックでそのままコーヒーを一口啜り、田中唯は砂糖もミルクもたっぷりいれてからコーヒーを口元に運んだ。なんだか頭のあたりが窮屈だなと思ったら自分が青色の帽子を被っていたことを今更のように思い出した。僕はむしりとるように帽子を取った。僕は普段どちらかというと帽子を被ったりする方ではないのだ。
「その帽子」
と、それまで黙っていた田中唯が遠慮がちな声で言った。僕は向い合せに座った彼女の顔に視線を向けた。
「青色っていうよりかは白ですよね」
僕は彼女の指摘にさきほど取ったばかりの帽子に目を向けた。確かに彼女の指摘通り、僕がさっきまで被っていた帽子はつばの部分が青色なだけであとは白といってもいい色をしていた。
「だから、わたし、迷ったんですよね。原田さんなのかどうか。でも、誰かを探してきょろきょろしてるのは白い帽子を被ったひとしかいないし、まあ、つばの部分だけ見れば青色と言えなくもないし。だから、思い切って声かけたんですよ」
彼女は可笑しそうに微笑んで言った。僕は苦笑して頭を掻いた。
「いや、普段、あまり帽子を被ったりしないから。てっきりこれは青色の帽子だと思い込んでたけど」
「正確に言えば違いますね」
彼女はクスクス笑って言った。僕はもう一度自分の帽子に目を落としてから、
「まあ、そうだな」
と、微笑して認めた。
「ところで、くどいようだけれど、きみはほんとうに未来人なの? 未来からやってきたひとなの?」
僕はコーヒーを啜ると、改めて訊ねてみた。幸い、店内は他の客の話し声や音楽で騒がしく、僕が未来人と口にしても周囲の注目を集めるようなことはなかった。
田中唯は僕の問いにこくりと顎を立てに動かした。
「まあ、こんなことを信じろっていう方が無理があるのはわかりますけどね」
田中唯は僕の顔を見ると、微苦笑して言った。それから、思い出したようにコーヒーを一口啜った。
「でも、僕としてはどうも上手く信じられないんだよな。これからたかだか八十年くらいでそんな時間旅行ができるようになるなんて」
僕は率直な感想を述べた。
「確かに、この世界線はわたしがいた世界線よりも技術の進歩が遅れているみたいだけど……」
田中唯はコーヒーカップのなかに視線を落とすと、思案するように小さな声で言った。彼女が口にした科白のなかに色々と気になる単語があったけれど、僕はひとまず彼女の言葉の続きを待って黙っていた。
「でも、もしに仮に、今この世界に既にタイムマシンが存在していたとして、原田さんはそれを発明したひとがわざわざ公言すると思いますか? タイムマシンを発明しましたって」
「うーん。どうだろうな」
僕は田中唯の質問に腕組みして首を捻った。
「それは世紀の大発明だし、だから、科学者だったらやっぱり世界に向かって発表したくなるんじゃないかな?」
田中唯は僕の言ったことがナンセンスだというように軽く首を振った。
「それはないと思いますよ。……まあ、なかにはそういうひとだっているかもしれないですけどね。でも、普通であれば、隠すと思います。だって、タイムマシンがあれば色んなことが可能になりますからね。たとえば未来に行って競馬とか株の情報を仕入れてきてそれで大儲けをすることだってできるわけですし。それだったらタイムマシンを発明したことは自分だけの秘密にしておいた方が都合がいいわけじゃないですか?」
「まあ、確かにそうかもしれないな」
僕にはタイムマシンを発明するような人間がそんな浅ましいことをするとは思えなかったけれど、とりあえずという感じで同意しておいた。
「それに」
と、田中唯はまたコーヒーを一口啜ってから言葉を続けた。
「タイムマシンの研究っていうのは莫大な費用がかかるんです。とても個人の研究の範囲内でできるものじゃないんです。当然、それには国家とか、多国籍企業とかがかかわってくるわけで、それでもしタイムマシンが実際に完成したとしたら、それはその瞬間にトップシークレットになります。厳重な管理下に置かれることになって、科学者は自由にタイムマシンを操ることはおろか、世間に向かって発表することはできなくなります。国家や企業は自分たちの利益のためにその研究の成果を独り占めにしようとします。だから、もし、この世界に既にタイムマシンが完成していたとしても、ほとんどのひとはその事実を知らないはずです。実際、わたしたちの世界でも、タイムマシンが完成していることを知っているのはほんの一握りのひとたちだけです。もっとも、遠い未来の世界においては、タイムマシンが存在することがオープンになっていて、誰でも自由にそのテクノロジーを利用することができる世界だってあるのかもしれないですけどね。でも、少なくともわたしがいた世界においては無理でした」
僕は田中唯の論理的な説明に何も反論できなかった。そして僕が思ったのは、世界中で見つかっているオーパーツの遺跡というのは、実は未来からのタイムトラベラーが残していったものじゃないのかということだった。三葉虫を人間が踏みつぶした何億年も前の化石とか、何百万年も前の、人間が存在していなかったはずの地層から発見された現生人類の全身骨格の化石とか。タイムマシンが完成していたとしたら、全てに説明がつくんじゃないかと僕は単純に思った。
「なるほど確かにね……というか、すごく面白いよ。きみの話を聞いていて、ほんとうにきみは未来から来たひとなんじゃないかっていう気がしてきた」
僕は興奮して言った。
田中唯は僕の発言に、微笑もうかどうしようか迷ったような曖昧な笑顔を浮かべた。僕はもう残り少なくなってきたコーヒーを啜った。
「ところで、もうひとつ質問してもいいかな?」
どうぞというように田中唯は僕の顔を直視した。
「僕はなんというか、そういうタイムマシンとかの話が好きで、色んな本とかを読み漁ってるんだけど」
僕はそこで言葉を区切ると、田中唯の顔を見た。
「で、色んな本を読んだ情報をまとめると、タイムトラベルをするためには光の速度よりも早い速度で移動する必要があるみたいなんだけど、そこらへんはどうなのかな? 未来への時間旅行はともかく、過去へのタイムトラベルは光の速さを超える必要があるみたいで、でも、アインシュタインの理論によると、光の速さを超えることはできないみたいで。だから、どうやって過去へのタイムトラベルが可能になったんだろうと思って。どう考えても、たかだか八十年ちょっとで光よりも早いスピードで移動できる方法が見つかるとは思えないし……」
「べつに過去へのタイムトラベルに光のスピードを超える必要はないんです」
田中唯はなんでもなさそうに答えた。
「もちろん、未来へ行くのも」
彼女は付け加えて言った。
僕は彼女の言葉の続きを待って黙っていた。もうコーヒーがなくなってしまったので、代わりにお冷を少し飲んだ。
「もちろん、原田さんの指摘通り、わたしたちの世界でもまだ光を超える速さで移動できる乗り物はできていません。……少なくともわたしが知っている範囲では、ということになってしまうけど」
田中唯はそこで言葉を区切った。そしたまた少ししてから彼女は話はじめた。
「でも、光の速さを超えなくてもタイムトラベルは可能なんです。この世界でも既にそういった理論は確立されていたと思うけど……たとえばワームホールを使う方法とか、超紐理論とか」
「そういえば、そういうのも見たことがあるような気がするな」
僕は苦笑して言った。つい、光の速さを超えることができないということばかりに目がいっていて、光の速さを超える以外にも彼女が述べたような理論によるタイムトラベルの方法が考案されていることを僕はすっかり見落としていた。しかし、いずれにしても、それらの理論は、光の速さを超える乗り物を作ることができないのと同じくらい、現代の技術では難しいことだった。それらはただ単に、光の速度を超えることができないということが科学的に立証されているのに対して、まだマシ、もしかしたら不可能ではないかもしれないというレベルに留まるものだった。とても八十年かそこらの未来で実現できるようなものではない。
「わたしがいた世界で最初のタイムマシンが完成したのは、西暦二千三十四年のことでした。欧州原子核研究機構で最初の試作機が作られたんです」
田中唯は話続けた。もし田中唯が言っていることがほんとうだとしたら、今からたかだか二十年ちょっとで最初のタイムマシンが完成するということになる。
「原田さんも欧州原子核機構のことは知ってますよね?」
僕は田中唯の問いに頷いた。
「スイスのジュネーブ郊外でフランスと国境地帯にある、世界最大規模の素粒子物理学研究所のことだよね? 僕も新聞とかで読んだことがあるよ。地下に巨大な全周二十七キロもある円型加速器があって……詳しいところまではわからないけど……その加速器を使ってものすごいスピードで陽子同士を衝突させると、これまでに観測されたことがない新しい粒子が発見されるかもしれないとか、もしかしたら、人工的にブラックホールを作ることができるかもしれないとか、そんな話を聞いたような気がする」
「そう!! まさにそれです。ブラックホールです!!」
田中唯は僕の発言にいくらか興奮した口調で言った。僕はちょっとびっくりして田中唯の顔を見つめた。
「タイムトラベルにはまさにそのブラックホールを利用するんです」
田中唯は語気を強めて言った。
「人工的に超ミクロなブラックホールを作り出してそれを利用すれば、タイムトラベルが可能になるんです」
田中唯はテーブルの上のお冷を手に取って、一口飲んでからまた説明を続けた。
「タイムマシンにはカーブラックホールというものを使うんです。カーブラックホールというのは通常のブラックホールと少し違って、回転しているブラックホールのことですね。人工的にミクロ特異点を生成して、その表面に向けて電子を注入すると、質量と重力場を操作することができるようになるんです。こうやって操作できるようになった二つのミクロ特異点を超高速回転させることで、カー局所場ないし、ティプラー重力正弦波内の事象の地平面を拡大することができるようになります。そしてリング状特異点の環内に物質を通過させれば、タイムトラベルは完了です。もちろん、この際、別の世界線へと送り込む動作をシミュレート操作して、局所場を適合、回転、移動させる必要はありますけど」
「???」
はっきり言って僕には田中唯の言っていることはちんぷんかんぷんだった。
「……ごめん。ちょっと僕には難しすぎるみたいだ」
僕は苦笑して言った。
「こちらこそすみません。あまりこういうことに馴染みがないひとには分かり辛いですよね」
田中唯も苦笑して言った。
「要するに、人工的に作りだしたブラックホールを利用してタイムトラベルをするわけです」
「なるほど」
僕はわかったようなわからないようなすっきりとしない気持ちで頷いた。
「でも、このタイムマシンは色々と問題もあります。何しろ光の速さを超えて移動するわけではないですから、自分がいた世界と全く同じ世界の過去や未来に行くことはできないんです。わたしたちの世界にあるタイムマシンは、タイムマシンというよりかは、べつの世界線へ移動する装置といった方が正しいのかもしれませんね」
「ふうん」
と、僕はまた話がややこしくなってきたなと思いながら相槌を打った。
「話をわかりやすくするために単純化すると」
と、田中唯は言った。
「これはあくまでイメージであって、事実とは異なるんですけど、説明をわかりやすくするとこういうことになります。すみません、ひとつの円を想像してもらってもいいですか?」
僕は田中唯に言われるがままに頭のなかにひとつの円を描いた。
「その円に、ブラックホールを利用して穴を空けるわけです。そしてその空けた穴をわたしたちは通過します。この穴を通り抜けると、タイムトラベルが完了するわけになるんですけど、この穴を通り抜けた先にあるのは、もといたわたしたちの世界ではないんです。わたしたちの世界とよく似たべつの世界の、過去や、未来なんです」
田中唯はそう言ってから、テーブルの上の紙ナプキンを取り出した。そしていつも持ち歩いているのか、胸ポケットにあったボールペンを抜き取って、さっき取り出した紙ナプキンに棒線をいくつか並べて書いた。
「こんなふうに、わたしたちの世界とよく似た世界が平行していくつも存在していて」
田中唯は棒線と棒線のあいだに矢印を書いて繋いだ。
「タイムトラベルをすると、この矢印みたいに、平行して、恐らく無限大に存在していると思われるべつの世界へ移動することになるわけです」
「パラレルワールドだ」
僕は言った。
「そう!! パラレルワールドです!!」
田中唯は僕の顔を見ると、呑み込みの早い生徒を褒めるようににっこりとした。
「わたしたちの世界で発明されたのは、タイムマシンというよりかは、パラレルワールド、違う宇宙へ移動する方法ということになりますね」
「なるほどね」
僕は言ってから片手で顎のあたりを触った。よくSF小説などでタイムパラドックスを解決する手段として、パラレルワールドという考え方が用いられるけれど、それはほんとうのことだったんだ、と、感心するというよりかは興奮した。
「つまり、僕がタイムトラベルをして自分の両親を殺したとしても、それは違う世界の両親を殺したことになるので、僕という存在が消えるということはないってことだね。世界は分岐して、べつべつに存在していくことになると」
「そういうことです」
田中唯は僕の顔を見ると、よくできましたというように微笑んだ。
「そうか……なるほど」
僕は呟いた。
「だから、さっきから田中さんは自分がいた世界とか、世界線とか言ってたんだ」
「そうです」
田中唯は言ってからまたお冷を少し飲んだ。ウェイターがやってきて、少なくなってきていた僕と田中唯のお冷を注ぎたしてくれた。
「ほんの十年くらい前までは」
田中唯は説明を続けた。
「ほんの少しの前の過去や、ほんの少し先の未来へしか、タイムトラベルをすることはできませんでした」
どうして? というように僕は田中唯の顔を見た。
「あまり遠い過去や、未来へ行こうとすると、世界線のズレが大きすぎて、とんでもない世界にたどり着いてしまう可能性が高くなるんです。わたしたちが知っている世界とはあまりにもかけ離れた世界に」
田中唯はそう言葉を続けてから、さっき書いた紙ナプキンを人差し指で示した。僕は視線を紙ナプキンに落とした。
「十年前の過去がこの棒だとしますよね?」
田中唯が示したのはさっき矢印で繋げた棒だった。僕たちがいる世界を示す棒と隣り合っている。
「でも、五十万年とか、一億年とかになると、その棒がこのあたりになるわけです」
田中唯は矢印で繋げた棒からかなり離れた場所に棒を書き足した。
「十年前くらいの技術ではとてもこの棒に安全に移動することはできませんでした。つまり、失敗を覚悟で、とんでもない恐ろしい世界にたどり着いてしまうことを覚悟のうえで、タイムトラベルするしかなかったんです」
田中唯はそこで言葉を区切った。僕は黙って田中唯が新たに書き足した線を眺めていた。
「でも、最近になって」
と、田中唯は再び口を開いた。
「新しいテクノロジーが開発されました。自分が行きたいと思っている過去の世界が具体的にどこにあるのか、その場所のデータをかなりの精度で割り出せるようになったんです。そしてそのデータをコンピューターに入力すればほぼ安全にその望の世界へ行くことができます。このテクノロジーの確立によって、わたしたちはかなりの大昔へ、つまり恐竜が実際に生きて動き回っていたような世界へも時間旅行することができるようになりました。といっても、この技術にもやはり限界はあって、あまりにも途方もない過去への時間旅行はできないんですけど……たとえば宇宙が生まれた瞬間とか」
「でも、すごいよ!!」
僕はかなり興奮して言った。恐竜が実際に生きて動き回っているのを見ることができるなんて羨ましい限りだった。
「で、きみの任務は恐竜を見てくることだったの? そういえばブログで過去の地球を観察するためだったとか書いていたけど……それってつまり、恐竜の生体とか、何故、恐竜は絶命してしまったのかを調べるために?」
田中唯は僕の問いに首を振った。首を振った彼女の表情はどことなく悲しそうに見えた。
「わたしたちの任務は五十万年前の地球を調べることでした。というのは、近年になって驚くべきことがわかったんです。それは五十万年前の人類がかなり高度な文明を築いていたということです。わたしたちの世界でも、つい最近まで人類が文明を持つようになったのは一万年前くらいだと考えられていたんですけど、でも、どうもそれが違っているということがわかってきたんです。どうしてそれがわかったのかというと、火星での調査が切っ掛けで……」
僕は田中唯の顔から目が離せなくなっていた。
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