前々回のブログでジョン・タイターの話を紹介させてもらったが、今回のブログではジョン・タイターのタイムトラベルの理論についてもう少し深堀してみたいと思う。
ジョン・タイターは自分は未来から来た人間だと述べているが、しかし、彼が語ったタイムトラベルの内用を見てみると、彼はタイムトラベラーであるというよりかは、我々から見ると、未来のように思える並行世界からやってきた人間であるということになりそうだ。
前回のブログでも軽く紹介させて頂いたが、タイターが用いているタイムマシンは、タイムマシンというよりかは、ブラックホールを使うことによって、自分がもといた世界から見て、過去や未来のように感じられる並行世界へ移動できる機械ということになる。
光の速さを超えて移動しているわけではないので、自分がもといた世界と百パーセント同じ過去や未来へ移動できるわけではないのだ。
ジョン・タイターが所有しているタイムマシンを利用すると、どうしてもその機械の性質上、どれだけ厳密に計算しても、もといた世界から見て数パーセントのズレのある並行世界へ辿り着いてしまうことになるらしい。
そしてこのことによって、我々からすると、非常に奇妙に思えるような状態が出現することになるようだ。
それは何かというと、ドッペルゲンガー状態だ。
移動した先の世界がそれほど遠い未来や、過去ではなかった場合、当然ながらそこには並行世界の自分がいて、その並行世界の自分とばったり遭遇してしまうようなことが起こり得るらしい。
というより、タイターは過去、というよりかは、タイターからすると、過去のように思える並行世界で、その並行世界に存在している自分と共同生活を送るといったようなことを経験しているらしい。
ところで、ジョン・タイターの説明によると、映画や小説とは違い、並行世界の自分を目撃することになったとしても、べつにそのことによってどちらか片方が死んでしまったりするといったようなことは起こらないようだ。
並行世界の自分と、オリジナルの自分は全くべつの存在であり、従って、並行世界の自分の姿を目にしても、それどころか一緒に生活したとしても、特にそのことによって何か身体に異変が起こったりするようなことはないということだ。
ちなみに、タイターがタイムトラベルの原理について説明したなかで僕がもっとも興味深く感じたのが、タイターの世界の技術では六十年という時間を超えてタイムトラベルすることはできないというところだ。
厳密にいうと、できないわけでないらしいのだが、しかし、タイターがもといた世界の技術では六十年というリミットを超えてタイムトラベルすると、もといた世界とはかけ離れた歴史を辿った並行世界に辿り着いてしまう可能性が極めて高くなってしまうということだった。
どうもタイターの世界にあるコンピューターでは、六十年を超えてしまうと、目的地の計算が非常に困難になってしまうようだ。
逆にいうと、敢えて計算を行わずに、デタラメに並行世界へ移動したとしたら、一体どのような世界に辿り着くことになるのだろうか、と、僕は上記のタイターの説明を読んでいて、非常にワクワクさせられることになった。
ひょっとしたら、そこには恐竜が絶滅せずに知的生命体にまで進化している世界が存在しているのかもしれないし、はたまた魔法使えるような世界だって存在しているのかもしれない。
そしてもしそうした世界に自由自在に移動することができたとしたら、どれほど面白いだうろか。
皆さんはそう思わないだろうか?
ちなみに、僕はこのようなアイディアをもと小説を書いており、それらを電子書籍という形で販売している。もしこのような話に興味関心があるという方がいらっしゃったら、下記にリンクを貼っておくので、また気が向いたときにでも見てもらえると非常に嬉しい。
ではまたのブログで‼