このところ猛暑が続いているが、皆さん、夏バテなどされていないだろうか? 僕はこのところ暑くて、部屋にひきこもりがちである。いや、いつもか。
さて、今回のブログでは時間についてふと思うところがあったので、そのことついて書いてみたいと思う。
皆さんは時間についてどういった認識をされているだろうか?
恐らく、ほとんど全てのひとが、時間とは過去から未来へと向かって流れていくものであると認識されていることだろう。そしてそれは例外なく僕も同じである。時間とは常に前に向かって進み続けるものであり、過去に戻ることはできず、また未来はまだ来ていないので存在していない、と。
ところが、理論物理学者の話によると、この人間の認識は誤りであるという。時間———即ち、過去と現在と未来は、同時に存在しており、謂わば、時間もひとつの空間であるということなのだ。
人間が時間が流れているように錯覚してしまうのは、人間の意識がAという過去と呼ばれる空間から、Bという今という空間へ、次にCという未来と呼ばれる空間へ移動していくから、そう感じてしまっているだけのことに過ぎないということなのだ。
こういった話は、今という時間を生きている我々の感覚からすると、非常にわかりづらいし、どう考えても当人の感覚としては、時間は流れているようにしか感じられないものである。
しかし、最近「ああ。なるほどなぁ」と、理論物理学者の言っていることが少しわかったような体験をした。
それは何かというと、過去のことを回想したときのことである。過去の思い出のなかには、非常に鮮明に記憶に残っているものがある。非常に鮮明に残っている記憶は、今から見て何十年というときが流れていたとしても、ついまるで昨日のことのように思い出すことができるものである。
そしてこのことが即ち、時間が流れるものではないということの答え、正体なのではないか、と、僕は思ったのだ。
僕が鮮明に思い出している記憶———と思っているものは、Aという場所にまだ存在しており、だからこそ、僕はAという記憶をまるで昨日のことのように感じることができるのではないのか、と。
もっと言うと、実は全てのことは同時並列的に起こっていて、特にそこに順序といったものは存在していないのかもしれない。
我々は時間、出来事をA、B、C、Dといったふうに順番に体験していくことになるが、実際にはそのような順序など存在しておらず、AからいきなりDに飛んでも良い、というか、時間の組み合わせも実は自由で、特に制限などないものかもしれない。ただ、意識が条件反射的に順番通りに空間を進んでいくので、あたかも時間は前に向かってしか進まないし、途中で順番が飛んだり、はたまた逆になったりすることがないと思っているだけのことなのかもしれない。
ひょっとすると、意識をもと自由にコントロールすることができれば、過去へも未来へも自由に移動できるものなのかもしれない。
と、今日のブログは以上となる。このブログを最後まで読んでくださった方には感謝する。
また僕はこのようなアイディアをもとに小説を書いており、それらの小説を各電子書籍販売サイトから販売しているので、ぜひこの機会に読んでもらえると嬉しい。
https://bccks.jp/bcck/176798/info
ちなみに、僕は先日新しい小説をAmazonから発売したので、こちらも併せて読んでもらえると嬉しい。
内容は、便利屋をしている主人公のもとに、異世界(並行世界)へ迷い込んでしまったと思われる妹を探して欲しいという依頼が舞い込んできて、その仕事を引き受けることにした主人公は、実際に異世界に移動して、その世界で様々な体験や発見をしていくというものになる。
ではまたのブログでお会いしよう‼ チャオ‼